自分の気持ち

Posted on 2008年05月29日 | 自分の気持ち はコメントを受け付けていません| Clip to Evernote

長年自分の気持ちを無視して心を殺して生活していると、やがて自分の気持ちが自分でも分からなくなるものらしい。
カウンセラーの話ではそういうことは珍しいことではなくて、仕事のことだけを考えて忙しくしてきた人とか、身体の感覚までも分からなくなるらしい。
あたしは身体の不調は感じるけど、自分がどうしたいのかとか、何を望んでいるのかとか、そういった自分の気持ちが分からない。
今、急を要することではないのだが、考えるべき事があって、今まではずっとチャンスがなかったのだが、近い未来に現実味を帯びた問題があって、それを考えるに当たって自分が本当にどう思っているのかを知る必要が出てきた。
皆口を揃えていうからとか、それが正論だからという理由で決断すれば、必ず何か失敗したと思ったときに後悔するだろう。
もし、自分が心からそうしたいと思ったことをやって、たとえ失敗したとしてそれは仕方のないことだ。
割り切れるというもの。
あたしがえげつない手段で両天秤にかける事案はいくつかあるものの、自分の心が何を望んでいるかは自分で分からない。
人を好きになれないだとか、人の話を親身になって聞けないだとか、自分の心が死んでるなーと思うことは以前からあったが、だからといって人とコミュニケーションをとることができないわけでなし、まぁいいかと放置していた。
ところが最近になって自分の気持ちというものを自覚できないといけない事態に気付いて、人に頼ったところで無駄だろうと思いつつもカウンセラーに相談してみた。
今のカウンセラーとはまだ短い付き合いで、あまり馴染んでいる感じでもなく、信頼度も低い。
カウンセラーもそんなに経験を積んだという感じではなく、長くはやってるけど大した経験はないような感じの人だ。
あたしの「自分はどうしたいのかを知りたい」という相談に荷が重そうな様子だったが、やってみようかという療法が思いついた。
自分の身体を感じていく療法なんだそうだが、果たして効果はあるだろうか。
脳に異常があるわけでなく、原因のはっきり分かっているストレスで様々な障害の出ているあたしは、一応薬も飲むがあまり薬物で効果は現れない。
それは自分でも分かり切っていることで、薬でぼーっとすることや一時的に楽になることはできても、問題の解決には何もならないことをよく知っている。
だからあたしが通院しているのは睡眠薬をもらう為なんだけども。
気休め程度にカウンセリングも受けて、日常のことを適当に話していた。
別段心理療法的なことはしていなかったけど、試み的な目標ができて良かったのかな。
今度からなんかそれっぽいことが始まるみたいだ。

自分の気持ちが分からないと言っても、快・不快の不快は分かる。
できればやりたくないこと、なんとなく気が乗らないこと、マジ嫌々なことなんかは分かる。
でも例えば○○が食べたいだとか、○○に行きたいだとか、そういった積極的な意思はない。
基本的に争いを好まず、波風立てず、程々に…を好む傾向があるようで、現状を積極的に動いて変えようとか、何か行動を起こすに当たっての犠牲を計算してだの、そういう方向は苦手だ。
いや、昔はそうでもなかったのだが。
ともかく、今は非常に積極性がなく、意思表示をしないどころか意思がない人間になっている。
それはとても悪いことだと思うし、本当に何も望んでいなくて何も考えていないかと言ったらそんなことはない。
常に自分を殺し続けた代償で自分がなくなってしまったのだなと痛感するが、だからどうしたら戻るかということが分からない。
公に書くと生じるかもしれない障害のために非常に抽象的に書いているが、ともかく自分の気持ちが自分で分からないということに最近困り果てている。

今日はそんな最近のくだらない呟き。
自分で自分が分からなくなったら駄目だね。危なすぎるよ。
せっかく精神面には深く触れないようにしていたブログでこんなこと書き始めた時点で駄目だけど。
まぁ、食べたいものくらい思いつくように練習しようかな。
ホント、こんなになっても、死ななきゃ生きてます。
自殺系キーワードでこのブログに辿り着く方多いみたいだけどさ、ホント、死ななきゃ生きてるんだから。
生きるだけなら難しくないと思うよ。
身体さえ健康なら明日は来るから。
今死ななくてもいいんじゃない?
とまぁ、後ろ向きなあたしからのメッセージ。


この記事は 2008年05月29日木曜日 の 2:29 AM に書きました。 
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